僕は、例年のごとくのっぴきならない作業がありまして...って
今回なかったんだよね。いや、あったけど別の人が行ったので休めた。
4連休なんてまぁ久しぶり。気持ち悪い、居心地悪い。
そこで、抜き打ち世界遺産めぐり「姫路城」「法隆寺」をして
お子様が居ない夫婦生活もありまして、家庭栽培やら大工仕事やらしているうちに
終わっちゃいました。
残念だったのは、少ししか絵が描けなかったことですかね。
休み明けは「あー、だりーなぁ」などと思ったりしたんですが
ルーチンワークに戻ってほっとした部分もあります。
そもそも自分自身本当に連休を楽しんだのか?
楽しいって何?
仕事をしながらそんな事をつらつらと考えています。
僕自身、実は家庭栽培やら大工仕事やらは好きかというと
休みに「よーしやるぞー!」というほど好きではないんです。
けど「出来ない自分」や「それを嫌いな自分」はそれ以上に嫌いなんです。
えーっとわかる?
だからするんです。その作業の中に楽しみを求めたり
それを楽しいと思ってる人と一緒に作業して、楽しそうな顔をみたりして喜んでます。
同じように会社でする仕事も
「出来ない自分」や「仕事を嫌いな自分」が嫌いなんで
なんでもかかえてしまって、パンクしそうになったりします。
正直になれば、楽になるのか?
正直過ぎて他の人に不快な思いをさせている人を見るにつけて
アレはイカンよねって思います。
あれって、どうなのかな?人生楽なのかな?
そういうことをチマチマコマゴマと考えながら
仕事を続けています。
あと、この話とはちょとずれるんだけど
いろいろ家の用事をこなしながら、まぁなんてたくさんあるんだろうって
おどろいてました。
で、こんなに沢山用事をつくってアプアプして食べてねて出して子供つくって
人間って何がしたいんだろうか?というギモンを持っちゃいまして...。
これを「人間が何をしたいのか」でなくて「人間に何をさせたいのか」と言い換えてみると面白くなってきますね。
誰が?というと宗教的な問題になったりするんですが、僕の場合は
地球自身が大きな生き物、それどころかこの太陽系全体もさらに大きなひとつの生き物なんだろな
というどこまでも膨張していくユルい考え方をしています。
塵芥が集合して生き物になりますよね。
でもって川の水のごとく、同じ個体でありながら新陳代謝を繰り返し
他の塵芥をまた血肉にかえて生きて行く。
この新陳代謝の間に残っていくもの、一個体を一個体としてつなぎ止めておくモノが
記憶感情思考の塊、いわゆるタマシーですね。わーお。
解剖しても見えないもんですが、あるんですわ。
残しておく必要があって、「形あるもの皆壊れる」のなら
形の無いものにしてしまおうと考えたんですわ。
誰が?
あ、それはさっきいったように、もっと上の大きな生き物ですわ。
説明ヘタなんでええかげん、まとめます。
「人間に何をさせたいのか」ですね。
こういうことです。
人間は塵芥達がご神体(タマシー)を担ぐための神輿である。
人間が主体ではなく、塵芥が主体だということです。
記憶感情思考の塊を未来のどこかへ運んで行く途中なんですね。
人類みな世界遺産なんですわ!
そういうわけで、ゴールデンウィークの報告はいきなり終わるのです。
仕事に戻りましょう(笑)
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