2011年01月14日

青空文庫未収録短編「白い壁」作:新美南吉

「白い壁」

 お城のへいの下の日だまりで、手まりや、おはじきをしている女の子たちは、うたいました。
-城下さかえて、城主さま、若い殿ごによめもろてやる。
-若い殿ごの花よめごりょは、遠い三河の城主のむすめ。
 正矩は、お城の若君でした。おとうさんは城主でした。そして正矩は、おとうさんの、たったひとりのむすこでありました。

 正矩は大きくなると、美しい若君になりました。正矩にはおさないときから、およめになることにきまっている、むすめがありました。三河の国の、ある城主のむすめでした。
正矩はまだ、そのいいなずけを、見たことがないのでした。三河は尾張の国と、海をひとつ、へだてていました。正矩はよく、ひまなときには、お城のやぐらから、三河のほうの山を見ていました。三河は、山の多いところでした。よく晴れた日には、山をうしろにして、ほそぼそとのぼる煙が、白く見えました。
 正矩は子どものときから、煙がすきでした。三河の山のむこうから、煙がのぼっていると、そこには、美しい村里があるように、思えるのでした。そして、そこへいってみたくなるのが、常でした。
 お城の中に、なにかお祝いごとがあって、台所でごちそうがつくられるときには、青い煙が、台所の中に、うすいもやのようにみちて、女の人びとがその中で、ごちそうをつくるのでした。正矩はよく、そういうところへ、いってみました。おとなになっても青い煙は、正矩にはなつかしいのでした。
 正矩はやぐらから、秋のなごやかな日をあびながら、きょうも三河の山の煙を、みつめていました。正矩は思いだしたように、「三河は遠いところだな。」と、つぶやきました。そばにいた、年とった家臣の孫左エ門が、「遠いようだが三河は近うございます。」といいました。「若君はごぞんじないでしょうが、安芸や山口は、三河よりずっと遠うございます。」といいました。
正矩は、
「おまえは、三河へいったことがあるか。」
 と、たずねました。
「ございます。」
 と、孫左エ門はこたえました。
「あそこに見えるあの煙は、なにかちのぼっているか、知っているか。」
 と、正矩はまた聞きました。「たぶん、炭やきか、かわらやきの煙でしょう。それとも、山火事の煙かも知れません。」とこたえました。
しばらくして、若殿の祝言の日も、まぢかになりました。「もう、こちらはすっかり、用意はできています。三河のほうでも、おこし入れの準備で、いま城中は、ざわめいていましょう。きっと、おひめさまも若殿のように、やぐらの上から尾張のほうを、ごらんになっていられましょう。」と、孫左エ門はいいました。
 正矩は、煙と和歌がすきでした。正矩は、祝言がちかづいて、城の中がざわめいていても、よろこばしいことがあれば、かなしいことがあるのだと、思っていたのでした。正矩は、西行法師のように、歌をよみながら、日本じゅうを旅をしたいなと、城から遠くのほうの山を、ながめました。
 ある日お城から、正矩が、いなくなってしまいました。正矩は馬にのって、ひとりきり、こっそりとお城からぬけだしたのでした。正矩は、お城をぐるりとまわって、おとうさんおかあさんに、心のなかで「さよなら」をしたのでした。正矩は、三河へいこうと考えました。城下町を出はずれるとき、赤子をおぶった女の子が、うたっていました。
-城下さかえて、城主さま、若い殿ごによめもろてやる。
 子もりの女の子は、手ぬぐいで髪を、くくっていました。そして、ポカポカと日のたまっている、土べいのとこに立っていました。赤んぼうは、正矩の馬を見て、目をパチパチさせました。
-若い殿ごの花よめごりょは……
 正矩は、ニッコリわらいました。
 三河の山には、きょうも煙がみえました。風がないものだから、柱のように、まっすぐにのぼりました・そして、むらさき色でした。あの煙は、しまいに、雲になってしまうだろうと、正矩は思いました。正矩が峠をひとつ越えてみおろすと、ひとつのいなかの村が、きいろくみのった稲田につつまれて、美しく見えました。
 正矩は、峠を半分ほどおりたとき、和歌を作りたく思いました。いい歌ができました。けれど、正矩の和歌をきいて、ほめてくれるけらいは、いないのでした。正矩はすこしさみしくなって、馬の上で、その歌をよみあげました。
 イタチが一ぴき、道のそばの小川から出てきて、道のまんなかに立ちどまりました。正矩のほうを、ちょっと首をかたげて見ていましたが、道をよこぎって、田のくろのあぜ道の下へ、かくれてしまいました。
 正矩は、イタチは、どんな家に住んでるだろうかと、考えました。正矩は、村の中へはいると、どこかの家で犬がほえていて、しずかなところだなと思いました。男の子どもが、道ばたで、さとうきびをしゃぶっていました。正矩はめずらしく思って、それはなんだと聞きました。
子どもは、さとうの木とこたえて、正矩にも一本くれました。
 正矩は子どもと別れて、馬の上でさとうきびを、しゃぶってみました。ひとふしかむと、ほっぺたの内がわが、いたくなりました。それで馬のくらに、くくりつけておきました。もうひとつ峠を越すときに、ふりかえってみたら、もう、さとうの木は、どこかへ落としてきたのか、なくなっていました。
 その峠の上から、三河の国が、ひと目に見渡されました。三河と尾張の間にある海も、見えました。正矩はよほど、三河に近づいたように思えました。馬の上でむすびをたべながら、なにも考えないで、やっていきました。モズが、キチキチと鳴いていました。一けんの百姓家のせどには、イチジクの実がなっていて、子どもがさわいでいました。
 白い煙が、空高くのぼっていました。正矩は、白い煙ののぼってるほうへ、馬をすすめました。白い煙の下には、きっと、子どもがいるだろうと思いました。白い煙は、お寺の庭からのぼっていました。
 正矩は馬からおりてそこへいくと、ひとりの年とった寺男が、落葉をかきあつめて、もやしていました。正矩は、うれしくなりました。
 寺男は正矩に、どこのかたですかと、たずねました。正矩は、旅のものですと、こたえました。寺男は、こんばんはこの寺で、とまっていきなさいと、いいました。子どもたちのなかには、竹をきってきて、草の実鉄砲を作って、持ってる子もありました。
 高いマキの木にのぼって、マキの実をとってる子どももありました。マキの実は、半分はうまいけれど、半分はたべられません。たべられない半分は、すてていました。マキの葉を鼻の下につけて、ひげにしている子もありました。
 つぎの朝、田のくろに、牛が一ぴきいました。正矩は馬からおりて、草をやりました。牛の目と馬の目をくらべてみて、牛の目のほうが赤いなと思いました。牛は、なわのようなしっぼで、ハエを追いました。
 正矩はまた、馬にのりました。所在ないので、「城下さかえて、城主さま……。」と、小さい声でうたいました。正矩は、おとうさんを思いだしました。おかあさんも、思いだしました。さみしくなって、馬のたてがみの動くのを、みていました。
 小さい村にはいったとき、しぐれがふりだしました。正矩は、せんべい屋ののき下に、雨やどりしました。塩せんべいを買って、馬にくわせてやりました。せんべい屋ののきには、箱のなかに、ヒヨコがたくさんいました。
 雨にぬれて帰ってきた子は、ふくろをもっていました。ふくろの口は竹でした。ふくろの中には、イナゴがいっぱい、はいっていました。ガサガサと、音がしました。子どもが、一ぴき二ひき、イナゴをとりだして、ヒヨコの箱の中にいれてやると、ヒヨコはそれを、うばいあいました。
 まもなく雨が晴れて、正矩はふたたび出かけたとき、馬のくびに、イナゴが一ぴきついていることに、気がつきました。きっと、子どものふくろから、にげだしたのだろうと、正矩は思いました。手にとってみると、イナゴは口から、赤ぐろいしるをだしました。たまり(しょうゆ)のようだなと、思いました。かわくと手が、ねちねちしました。
 正矩は、亀崎という、漁師町へ出ました。亀崎の町は、のきとのきが、ひっつきあうほど、道のせまいところでした。馬でそこをあるいていくと、ちょうど、屋根の上をあるいているようでした。その屋根の上には、イワシのひらいたのが、ほしてありました。ハゼも、ほしてありました。屋根のむこうには、まばゆいほどに光っている、海がありました。海のむこうには、三河が青く見えていました。
 正矩は、船着場にきてみると、ふたりの男がさきにきていて、船がくるのを待っていました。ひとりは信州のほうから、はるばるときた薬商人で、もうひとりは、三河へきゅうをすえてもらいにいく百姓でした。
 ふたりは、潮がみちてくると、水の中につかってしまう石段にこしかけて、沖のほうをむきながら、にじの話をしていました。薬商人は、晩のにじは、雨がふるしるしだといいました。百姓は、晩のにじは、晴れるしるしだといいました。正矩はそれを聞きながら、馬にニンジンをたべさせました。光る海から小さい舟がきて船着場へつくと、年とったおさむらいがひとりと、きつねつきのむすめをつれた商人が、舟からあがりました。きつねつきのむすめは、正矩の馬に、おかしな手つきをしてみせて、ホホとわらいました。
 舟にのってからも正矩は、そのむすめのことを、考えていました。あのむすめは、赤いえりだったと、思いました。船頭は、ろをこぎながら、馬は大きいから、人間の倍だけの賃金をくれといいました。
 沖のほうをみると、二つ三つの舟が、海から網を、ひきあげていました。網には、キラキラ光る魚が、かかっているようでした。船頭は、あれはイワシであると、いいました。
 正矩は、あの光るイワシがひらかれて、亀崎の町の屋根の上に、ほしてあったのかと思いました。
 正矩は思いだして、三河からよくのぼっている煙はなにかと、船頭にたずねました。船頭は、そんなものは知らないといいました。正矩は、馬の腹の下からのぞいてみましたが、きょうは煙が見えませんでした。舟が三河の船着場についたとき、馬は舟によっていて、陸へのぼると、よろめくことがあるといいました。
 正矩は、尾張の国をみました。山のすくない尾張の国は、海のむこうに見えました。正矩はいつのまにか馬にのって、畑の道を山のほうへあるいていました。三河も尾張も、おなじように日のあたる、あったかいところだなと思いました。
 屋根の上になにか、ほしてある村にはいりました。また、イワシかなと思いながら、赤い草の道をのぼっていきました。くし人形をもった女の子が、のき下から正矩を、見あげました。
 正矩は、屋根のほしてあるものを見ると、イワシではないので、女の子に聞いてみると、女の子は、いもぼろとこたえました。さつまいもをむして、輪切りにしたものでした。お正月がちかくなると、山の女の子たちは、いもぼろをたもとにいれて、えんがわで、人形あそびをするのだなと、思いました。
 松林が、こんもりと繁っている丘のむこうから、黒い煙がうすくなって、むらさき色になっていました。正矩は、ある百姓家のせどで、歯におはぐろをつけている若いおよめさんに、あの煙はなにかと、たずねました。若いおよめさんは、黒い歯をみせて、かわら屋の煙だといいました。だんだん、日がかたむいていって、馬にのった正矩のかげは、長く赤い草の道にうつりました。
松林をぬけると、粘土でつくった、大きなかまどが見えました。たいへん大きな赤牛が、ねているようでした。そのかまどの上の穴から、正矩のすきな煙が押しだされて、風のない空へ、ひろがっていきました。かわら屋には、まだじょうぶなおじいさんと、若い男と、小さい男の子と、たった三人いたきりでした。
 おじいさんは正矩をみると、頭から鉢巻をとって、おじぎしました。若い男は、かまどのむこうで、たきぎを割っていました。若い男は、かわらをさわった手で顔をさすったのか、ほっぺたに、黒い親ゆびのあとがついていました。
 男の子は、林の中から、ドングリの実をひろってきて、地べたにならべて、戦だといって、ひとりであそんでいました。おじいさんも若い男も、いい人たちでした。正矩は男の子を馬にのせてやると、男の子は、手をうってよろこびました。
尾張が見えるといいました。名古屋のお城は見えないかとからかうと、見えないといいました。正矩は、子どもをのせたまま、かわら屋をぐるりと、ひとまわりしてやりました。おろしてやるとき、正矩の肩につかまった子どもの手をみると、しもやけで赤くふくらんでいました。
 夜になると、正矩は馬をかわら小屋の中にいれて、若い男といっしょに寝ました。若い男は、かわらは、ああして三日ほどかまどの中で、焼かねばならないのだといいました。正矩は、なぜこんな山の中で、かわらを焼くのか、聞きました。若い男は、町の中でかわらを焼くと、人が煙をきらうからだといいました。正矩は、なぜ人は、煙がきらいだろうと思いました。
 朝になると、村のむこうから、牛車がやってきました。赤土の道を通ったのか、輪には赤土が、はりついていました。牛車をひいてきた男は、たづなを牛のつのにかけておいて、寒うなったの、といいながら、かまどをまわってきました。牛車には、かわらが積まれました。その牛車は、山のむこうの、城下町へいくのでした。正矩は、それについていくことに、きめました。
 山のいただきまできたとき、ふりかえってみたら、かわら屋のきいろいかわらのまじった屋根が、林の木のむこうに、チラチラ見えていました。正矩は、子どもはまた、ドングリをひろって、それを地べたにならべて、きょうも一日を、暮らすのかと思いました。道がくだり坂になると、牛車の上で、かわらがごとごとと、音をたてました。
 牛車ひきの男は、城主さまのむすめが、尾張へおこし入れなされたとき、たいへん、りっぱなおこしだったといいました。
 正矩は、牛の背ごしに、その男を見ていました。尾張のほうのおむこさまは、おこし入れまえに、どこかへ、ゆくえが知れなくなってしまったけれど、いったん、きめたのであるから、おむこさんがいなくても、三河へ帰っておいでにならないと、その男がいいました。
 正矩はかなしくなると、道ばたにはえてる長いチガヤの穂をぬきとって、ちぎっては牛の背に投げつけながら、尾張の自分の城を思いだしていました。
 正矩は、牛車と別れてから、お城の下へいきました。正矩は、ぽかんと、お城を見ていました。三河の城も、やはり尾張の城とおなじように、白の壁なんだなと思いました。
 晩がくると、城下町には灯がはいって、タもやがお城の松のいただきを、つつみはじめました。正矩は、町をどんどんいくと、ある家の格子から、青い煙が、道へながれでていました。さかなを焼くにおいも、していました。正矩は、むしょうにうれしくなって、そこに立ちどまっていました。
 ある年の秋、尾張の国の亀崎へ、ひとりの旅びとがやってきました。それは、煙にあこがれて旅に出ていった、正矩でありました。正矩は、北陸の敦賀へもいきました。遠い寒い、新潟へもいきました。それから、山の中の信州を旅して、いく年めかに、帰ってきたのでありました。
 亀崎の海は光っていて、亀崎のひくい屋根の上には、イワシが背をならべて、ほされてありました。


作:新美南吉(昭和五年-十七歳「文芸自由日記」内より)

出典元:講談社文庫「童話集 ごんぎつね・最後の胡弓ひきほか十四編」

17歳の青年が日記に書いた、
ロードムービーのようなあざやかな風景が幾つも並ぶ傑作です。
「ごんぎつね」よりも好きなお話なのに、ネットの検索にものぼらないので
今回載せてみました。
posted by tom at 00:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 濁書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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