2015年01月24日

ジュリー&ジュリア(2009米)


「この物語は2つの実話に基づいている」というツカミはあたりまえだが面白い。
その昔ジュリアという主婦が書いた仏料理本の中の500数種を
現代のジュリーが1年ですべて作ってみよう
という試みも面白い。
2人の人生を交互に描く方法も贅沢で面白い。
メリル・ストリープもおかしげな喋り方をするおばちゃん役(おそらくかなり物まねが入ってる)に徹しているし、エイミー・アダムスも仕草が可愛らしいお姉ちゃんだし。
しかし、なんだろうこの上滑り感。
別に料理がマズく撮れてしまってるというわけでもないんだが、
メインである数々の料理がちょっとそっちのけというか
ブログや夫婦愛のこともまんべんなく入れてようとしてどれも中途半端に終わってる。

しかも事実だから仕方ないが、このジュリーの取り組みについてジュリア(生きていたのか!)が
あまり快く思っていないという話を人づてから聞くエピソードがでてくる。
ジュリーの旦那は「彼女も人間だから完璧でないさ。君が尊敬してるのは君自身の中に作り上げたジュリアなんだよ」と慰める。
…なんだこれは?
まぁ事実なんだろうが、これは削ってもよかったんでないの?
終わり近くにもってこられたら盛り上がった気分が沈むしかないよね。
(追記:ここらへんの疑問は公開時から言われてたようで、http://cinema.pia.co.jp/com/150996/600337/が割と詳しい)

まぁ実話に基づかないで脚本を書けば
「ジュリーが最期の料理に失敗しそうになったその時、颯爽と現れたヨボヨボの老婆が神のような手さばきで仕上げ直して、パーティは盛大に終わる。2人は厨房ではじめて手を取り合う。エンド」
だよね。え?ベタすぎる?ハリウッド映画なんだからこれくらいベタでいかんと。
脚本家としてのノーラ・エフロンは、出世作の「恋人たちの予感」以外はどれも面白い題材をあまり活かしきれない人だったと認識している。

ジュリアの旦那がホモ疑惑で落ち込むエピソードが出てくるが、たしかこの役者スタンリー・トゥッチ
「プラダを着た悪魔」で主人公を助けるオネエなコーディネーターでメリルと競演してたよね。

ジュリーらが観ているテレビで(おそらくNSL)ダン・エイクロイドが
ジュリアのマネでコントスケッチしてるのが観れたのはお得な気分。
posted by tom at 11:13| Comment(0) | TrackBack(0) | Film | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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